最終回
PS2版『NiGHTS』クリエイティブプロデューサー 奥成洋輔
(国内渉外部)

 ナイツに初めて出会ったのは、キャラクターデザイン担当の大島さんから貰った年賀状でした。 ハガキの隅に小さくナイツの原形らしきキャラクターの顔が描かれていたのです。サターンが発売された直後、1995年のことでした。

 前年、大島さん制作の格闘アクションに見習いプランナーとして参加していた私は、そのプロジェクト中止と共に職を失っていたのですが、この絵が導いたのかその後パブリシティなどの仕事で『ナイツ』にも参加することに。
 飯塚Pへ編集者のように張り付いたり、中さんに怒鳴られたりと開発に張りついていました。その中でも印象に残る思い出をひとつ。

 初めてナイツの紫色のカラーリングを見て、その色使いに特別な印象を持った人は多いのではないでしょうか。この「紫色」というのはひとつの挑戦でした。
 紫というのは非常に使うのが難しい色で、一般的に「好きな色」のアンケートをとっても紫がランクインすることはまずないと思います。でもそれをわかっていながらスタッフはあえて難しい「紫」を選びました。
 紫の色味には非常に細やかな調整を続けていて、店頭ポスターや雑誌の表紙などを作る際には、その発色を何度も調整したのを覚えています。
 初めての3Dゲーム制作、「夢の世界」を表現するといった、開発チームのさまざまな挑戦の1つがこの「紫色」だと思います。その結果、恐らく世界でも珍しい、紫色の主人公が誕生したのです。

 その後『クリスマスナイツ』が作られることになり、真っ赤になったナイツが登場しました。私は調子に乗って「みんながクリスマスナイツはかわいいって言ってます。こんなに評判良いなら、もし最初からナイツが赤かったら、さらに人気が出てたかもしれないですね!」などと口走りました。

 この失礼な若造の言動に、大島さんが平然と答えてくれました。「そんなの当たり前だよ。だって赤は一番人気のある色。みんな赤が大好きなんだ。だから赤を使ったキャラは世の中にいっぱいいるだろう? なのに赤を使うなんてちっとも面白くないじゃないか」
 そしてもう一言付け加えてくれました。「でも今回はクリスマスなんだから特別。クリスマスは楽しまなくっちゃね」

 開発というのは常に挑戦であるということを教えてくれた、そんな現場のことを、ナイツで空を飛びながら思い出していました。

 これまでさまざまな過去タイトルを移植してきた私にとっても、『ナイツ』の移植はひとつの目標であり、使命のようなものでした。移植希望のアンケートや、会社宛のお客様へのお便りをチェックすると必ずそこにあるのは『ナイツ』です。移植希望は途切れることがありませんでした。途中さまざまなことがあったので(詳しくは内田Pの思い出を)、今回無事に発売できて本当にほっとしています。

 開発スケジュール変更のどさくさにかこつけて、一旦は諦めていた(『クリスマスナイツ』にあった)カレンダー機能を、完成間際の土弾場でゴネて追加させ上海スタッフを苦しめたり、休日出勤して働いてくれたチェックスタッフに「ピアンタワーが完成するまでは帰れないよねえ」とイジワルを言ってみたり、今回もスタッフにワガママばかり言ってしまいましたが、結果として皆さんの手にしたこのソフトが、10年前の楽しい思い出を呼び起こすきっかけになっていますように。
 そしてあなたの次に手にしたセガのゲームが、10年後も思い出に残るソフトでありますように。

 

 昨年12月から続けてきました、「ナイツとの思い出」の連載も、今回で最後となります。長らくご愛読ありがとうございました。